負けん気が強くて、新聞記者になれた
私が大学時代は就職協定というものが存在しているようで、そうではなかった。
唯一それを守っていたのは新聞社。
私は大学に入ってすぐ、新聞記者を目指した。
本格的に勉強を始めたのは、大学3年の時からで、高田馬場にあるマスコミの予備校に通い始めた。
新聞社の入社試験の課題は、作文、時事英語、一般教養だ。
私は時事英語が苦手で、大手新聞社で校閲部記者をしていた先輩を頼って、
週に一度、本格的なレッスンを受けた。
また、大手新聞社の編集委員の先生が開いていた作文塾に潜り込み、週に2本の作文を書いた。
結構きつかった。
そんな生活を送っていたら、授業がおろそかになる。
それを知って、クラスメートが試験前になると、ノートを貸してくれた。
今考えると、よく卒業できたと思う。
入社試験3カ月前になると、勉強は佳境に入った。
そのころは一日12時間以上、勉強していた。
マスコミの予備校での成績は、当初、100位以内だったのだが、そのころには、ベスト10に入った。
ペーパー試験にはなんなく合格。
しかし、面接という厄介なものが待っていた。
大手新聞社の編集委員の先生から「思いっきりぶつかってこい」といわれ、
その勢いでいったら見事、合格を勝ち取ることができた。