短気は損気。良いことは一つもない。
短気を称して「沸騰した薬缶」のようだと言われます。何故か、すぐに「カッと」熱くなる、と言うことの例えです。自分でも良く解ってはいるものの、つい、「カッと」なり、言わなくてよいことを口走ってしまったり、相手の気分を害してしまったり、決して良いことは一つもありません。
そこで、自分は、何か口走る前に、まず、一呼吸置くことにしています。そして、今言おうとしたことを、「自分が言われたとしたらどんな気分になるだろう。」と想像してみます。そして、少しでも、嫌な気分にさせられると思えば、口にしないようにと、意識することにしています。だからといって、黙ってしまうのではなく、別な言い方はないものかと、再考することが出来るようになります。
言われた方の立場になって思いを寄せる、と言うことですが、「言うは易し」で、なかなか、実践は正直難しいのです。しかし、少しでも実践してみると、相手の気持ちが理解できたり、気持ちを抑えたりすることは、実感できます。相手を思いやる気持ちの大切さは、どうも、自分自身が痛い思いをしないと、気づかないもののようです。
人の痛みを知る人間でいたい。そう思いながらも、まだまだ、そこへの意識が足りないことをいつも痛感しています。