飽きっぽさの裏側には長所がある
学生の頃から少し飽きっぽい性格だったと思います。
勉強も意味を感じられないものはなかなか取り組めませんでしたし、遊びも一つの事をやり続けたというのはあまりありませんでした。
飽きっぽいということは一つの事に集中していない、またはそのジャンルでプロフェッショナルになれない事を示しているので短所としてとらえています。
自分は何かのプロではありません。一つの事をやり続ける事を拒否して新しいことを模索し続けているのだと思います。
これは「飽きっぽい」が新しいことへの「チャレンジ」と近似の関係にある事だと思います。
学生の頃では新しいことのチャレンジというものはあまり感じていませんでしたが、就職し、社会人になるとどうしても責任を取りたくないことから守りに入って、新しいことへのチャレンジを諦めている人が多い気がします。
特に経営者でもない限り、私たちは色んなことにチャレンジする権利と楽しみがあるはずです。
時代は同じことをしているだけでは淘汰されていく未来しかないでしょう。
昭和や平成で普通だった公務員やサラリーマンで大企業に勤めていれば安泰の時代は終わったので、
自分の個を活かすべく、常に新しいことへチャレンジし、飽きっぽいという短所を長所に替えて仕事を進めていきたいと思います。